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次代を担う指導者を育てる「甲子園塾」 後編

なぜ甲子園塾は創設されたのか

甲子園塾はどのようにして始まり、なぜ暴力をなくすことを一番に掲げているのでしょうか。

第1回甲子園塾で指導する山下智茂さん(中央)とそれを見守る尾藤公さん(右)=毎日新聞社提供

暴力根絶を求めて緊急通達

日本高野連は、戦後一貫して指導者や野球部員の暴力をなくそうと努めてきましたが、一向に減ることがありませんでした。

開講3年前の2005年、全国大会で上位進出の実績がある2校で、部員による暴力や喫煙、指導者による部員への暴力といった不祥事が相次いで発覚しました。両校とも地元高野連への報告がなかったことも重くみて、日本高野連は同年8月、都道府県高野連に対し、緊急通達を出しました。内容を抜粋します。

「日本高等学校野球連盟は、戦後一貫して暴力絶滅を強く訴えてきました。特に上級生が無抵抗の下級生に対し、制裁を科す行為は厳しく戒めてきました」

「体育会系の部活動では多少の暴力は許される、以前からあった、などというのは誤った考えであり、長い間引きずってきたこうした暴力を許す体質を指導者がどう断ち切っていくかが厳しく問われています」

「指導者の暴力もいささかも許されるものではありません。学校教育法では、いかなる暴力も明確に禁止されています」

当時の脇村春夫・日本高野連会長は「全国の高校野球ファンに対して深くおわびしたい」とコメントしました。

日本高野連は、不祥事が起こった際には、まず地元高野連に報告するよう加盟校に求めています。通達では、不祥事後の「迅速な対応と決断」も求めました。そのため、日本高野連審議委員会に報告される不祥事は2005年9月~12月の間、毎月100件以上にのぼり、この4カ月間だけで前年度の総数約500件に匹敵するほどでした。それ以前は、報告されない不祥事がいかに多かったかを示すことになりました。

しかし、通達を出したにもかかわらず、2005~07年度に報告された不祥事は毎年度1,000件前後にのぼり、そのうち、「指導者による暴力」が数十件、「部員による暴力・いじめ」が300件前後という状況が続きました。

指導者の養成に連盟として本腰

2007年には「特待生問題」が起きました。当時の日本学生野球憲章(旧憲章)では明確に禁止されていた特待生制度を採用していた加盟校が300校以上もあることが分かりました。

これを機に、特待生制度について提言する有識者会議や、憲章を60年ぶりに改正する検討委員会が設けられるなど、野球部活動のあり方を根本的に見直す動きが活発になりました。

このような状況のなか、日本高野連は、依然として減らない不祥事、特に暴力を無くすには、指導者による体罰や暴言に歯止めをかけることが先決だと考えました。審判委員向けの全国講習会は1954(昭和29)年から実施しているものの、指導者向けの講習がなかったことを踏まえ、47都道府県から毎年、指導歴が原則10年未満の教員に参加してもらうことにしました。

第1回甲子園塾で指導に当たった尾藤公さん、渡辺元智さん、山下智茂さん(左から)

主眼である暴力根絶に加え、若い指導者たちの参加意欲を促そうと、「将来は甲子園出場を目指す」こともスローガンにしました。それにふさわしい講師として、1979(昭和54)年の第61回全国選手権大会3回戦、延長18回に及ぶ〝伝説の試合〟で監督だった2人、箕島の尾藤公さん(故人)を初代塾長とし、星稜の山下智茂さんを補佐役としました。

山下さんは、尾藤さんから誘われた時のことを振り返ります。「2人でやろうよ。若い監督さんたちに、我々が失敗した経験も伝えよう。良き指導者になってもらい、日本の高校野球界を引っ張るような人材を育てよう」。そんな内容だったそうです。

さらに、元横浜監督の渡辺元智さんらも講師に加わり、2008年11月、最初の甲子園塾を開催しました。

第1回甲子園塾で指導する渡辺元智さん=朝日新聞社提供

「指導者自身が情熱と愛情を持つこと」

尾藤さん、山下さんの二人三脚で始まった甲子園塾でしたが、開講から約3年後の2011年3月、がんを患っていた尾藤さんが亡くなりました。第2代の塾長を引き継いだ山下さんには、印象深い尾藤さんの言葉がいくつかあり、それらは甲子園塾の根幹になっていると言います。

「甲子園には父のような厳しさと母のような温かさがある」

「甲子園のベンチでの監督の役割は、選手がリラックスしてのびのびと楽しくプレーできるようにすること、思い切ってやれる雰囲気を作ることだ」

「野球というスポーツは素晴らしい。野球は人間がやるからこそ人間臭いドラマが生まれる。野球は人生の縮図だ。社会の縮図だ。人生そのものだ」

「グラウンドは畑だ。開墾し整地し肥料をまき、水をやる。農作物を育てる気持ちだ。それを不作だと物言わぬ農作物に言うのか? それは明らかに世話不足だ」

受講生にノックを披露する山下智茂さん=毎日新聞社提供

山下さんは2023年度まで塾長を務めました。若い指導者たちに向けて、「生徒の心に火をつけるには、指導者自身が情熱と愛情を持つこと。世界に通用する若者を育てていただきたい」とエールを送ります。

講師は、渡辺さんと同じように甲子園で優勝経験のある監督・元監督も多く、高嶋仁さん(智弁和歌山)や前田三夫さん(帝京)、吉田洸二さん(清峰)、我喜屋優さん(興南)、百崎敏克さん(佐賀北)、和泉実さん(早稲田実)、西谷浩一さん(大阪桐蔭)、大藤敏行さん(中京大中京)、東哲平さん(敦賀気比)、岩井隆さん(花咲徳栄)、中谷仁さん(智弁和歌山)らが務めました(カッコ内は優勝時の校名)。

また、加盟校の大半を占める公立校の監督を毎年度なるべく起用することにしており、松本稔さん(群馬・中央中等)や高橋広さん(鳴門工)、大野康哉さん(今治西、松山商)、中迫俊明さん(鹿児島工)、森脇稔さん(鳴門)、藤田明宏さん(県岐阜商)、大坪慎一さん(鳥栖工)らが務めました(カッコ内は講師担当時の校名)。

受講生からの甲子園出場も

講師を務めた指導者のうち、大坪さんは2008年度に受講した〝1期生〟で、33歳でした。当時率いていた伊万里農林を09年夏に全国選手権大会へ初出場させます。それから14年たち47歳になった23年夏、今度は鳥栖工を初出場に導き、同年11月の甲子園塾で講師を務めました。

甲子園に伊万里農林の監督として出場し、ノックをする大坪慎一さん=朝日新聞社提供

大坪さんは受講当時を振り返り、山下さんの「人間性を磨いて、甲子園が迎えに来てくれるようなチームを作ってほしい」という言葉にはっとしたそうです。「それまで、『とにかく甲子園に行きたい、行きたい』の一心だった自分の発想を変えてくれました」。暴力をなくすための議論のなかで、大坪さんが「時と場合によっては必要なのではありませんか?」と質問すると、塾長だった尾藤さんが涙ぐみながら、「これまで僕たちがやってきた過ち、負の遺産を、君たちが断ち切ってほしい」と答えたそうです。「この人たちの覚悟は相当なもの。身の引き締まる思いでした」

大坪さんを含め、これまで甲子園塾の受講生の中から、20人が甲子園に監督として出場しています。今後も、甲子園塾から、高校野球の次代を担う指導者が育っていくことが期待されています。

⇒前編 「体罰や暴言によらない教え方を追求」

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