2024年3月18日
日本高野連・寶馨会長インタビュー
高校野球をさらに現代的に
――日本高野連の会長に就任されて2年以上が過ぎました。
高校野球の現在地を会長としてどのように捉えていますか。
センバツ創設100年、節目の年
今年は選抜大会の創設から100年、阪神甲子園球場も開場から100年という節目の年です。選手権大会は今夏、第106回大会を迎えるように、高校野球は既に1世紀以上にわたって続いています。
高校野球はプロ野球よりも早くから人気を博してきました。ただ、大学野球とともに熱狂的になりすぎた故に1932年、当時の文部省から「野球統制令」を発令されました。戦後、学生野球団体を設立して「日本学生野球憲章」を制定し、自らを律し、健全なスポーツとして発展してきました。憲章に基づいた自主自律の精神が今なお、高校野球の根底にあります。
一方で多くの変化もあります。かつてはスパルタ式、根性主義といったものが主流で、練習中に水を飲んではいけなかったり、投手が過度に投げ込んだり、過剰な本数のノックというのも珍しくありませんでした。しかし、今では、部員の頭髪を丸刈りと取り決める学校は26%にまで減少するなど、「根性野球」の時代は過去のものになりつつあります。
そのうえで、高校野球をさらに現代的なものにしていきたいと個人的には考えています。組織運営や情報発信、コミュニケーションの方法などにもさらなる工夫ができるでしょうし、野球を科学的に分析していく取り組みも検討していければと思います。
現在では投球の回転数や回転軸、打者のスイング、打球のスピード、飛距離など細かな分析が出来るようになってきています。データを取っていけば、技術の向上だけでなく、けが防止などにも役立てていけるのではないでしょうか。
会長に就任して以降、できるだけ現場に出るよう努めてきました。地方の球場での様子を見て、各都道府県連盟の役員の方々の話を聞き、全国の現状を知ったうえで高校野球の将来のあり方を考えていきたいです。
情報発信の機能強化を
――今回、日本高野連のウェブサイトをリニューアルしました。
会長就任以降、ぜひ取り組みたいと思っていたことの一つが情報発信の強化です。
ウェブサイトには三つの発信機能を期待しています。一つ目は「日本高野連の考え方を丁寧に説明する機能」です。ある決定をした時にその理由や背景を十分に理解していただけるよう説明できればと思います。
二つ目は「取り組みを適時、的確に周知する機能」です。日本高野連の取り組みは多種多様なものがあります。野球の普及・振興のための「高校野球200年構想」や指導者を育成するための「甲子園塾」のほか、審判育成やけが防止策にも取り組んでいます。これらをもっと多くの方に知っていただきたいです。また、ルール改正、用具の規定変更などでも、その背景やそこに込めた思いなども伝えられればと考えます。
三つ目は「データやニュースを系統的に記録して、公表する機能」です。大会日程、試合結果のほか、イベント情報や各種表彰などをわかりやすく整理してお伝えしていきたいと思います。
高校生や高校野球の指導者はもちろん、小中学生などこれから高校へ進む子どもたちにも、見てもらえるようなサイトにしていければいいですね。
新基準バットがもたらす野球の変化
――今選抜大会から新基準バットが採用されます。
打球による投手の受傷事故防止などを目的として、今春から金属バットの基準が変わります。変更に際しては、加盟校の経済的な負担を軽減するべく、日本高野連から全加盟校に新基準バットを3本配布しました。球児のみなさんは冬の間、早く新しいバットに慣れるよう一生懸命練習していることと思います。
新基準のバットはこれまでのものより反発力が落ち、打球が飛ばないと見込まれます。このことは、高校野球にも変化をもたらすのではないかと思います。具体的には、外野手の守備位置がこれまでよりも少し前になり、二塁走者がワンヒットで生還出来ないケースが増えるのではないでしょうか。
そうなると、ワンヒットで還すための作戦や走塁方法、三塁コーチの判断などが重要になります。三塁への盗塁や1死二塁での送りバント、エンドランなどの作戦を積極的にとったり、足の速い選手をそろえたりするチームも出てくるかもしれません。
守備側は、二塁走者の足を防ぐ二遊間の守りが重要になってくるでしょう。二塁けん制などでバッテリーは三盗を警戒しなければなりません。前進守備をする外野手は頭上を抜かれないような技術を磨く必要もあります。
いろんなことを考えて練習し、作戦を練る必要があるでしょう。新基準になって最初の大会である選抜大会で、各出場校がどんな野球を繰り広げるのか楽しみです。観客のみなさんも、こうした細かい変化を探しながら試合を見ていただくと、より楽しくなるのではないでしょうか。
- 寶 馨(たから・かおる)
- 1957年(昭32)2月12日生まれ、滋賀県彦根市出身。
兵庫県立西宮北高-京都大工学部。高校、大学では野球部に所属し投手や捕手としてプレー。
81、82年と2013、14年に京大野球部の監督、05~19年は部長を務めた。
21年12月、第8代日本高野連会長に就任。
京大大学院工学研究科の元教授で同大防災研究所長などを経て
23年4月から国立研究開発法人・防災科学技術研究所理事長。